「二弦の共鳴」への思い

高木フトシくんという音楽家は
詩人でロッカーで
その進歩の歩みを止めようとせず
でも急がず
一歩一歩確実に
自分の音楽を紡いで行く人だと
僕は思ってます。

でも彼の魅力と言うか
僕が彼に魅かれるところは
ネガティブな一面がある(あった)ところだと思ってます。

誰にだってネガティブな面はあるし
そんなもん、おいそれと人には見せませんよね(僕も然り)

でも彼と音楽を奏でる中で
二弦の旅の途中で
彼が吐露した言葉

「俺はいつだってこんなもん(こんな音楽界)やめて良いと思ってたんだ」

誰よりも才能に溢れた音楽家が(花を愛する優しい男が)
この世の音楽(界)を悲観し蔑み
自分を疑い、自分にとって一番大事な筈のもの(フトシくん自身の音楽)を投げ出そうとした事がある。

こと音楽の世界の物差しで
売れたとか売れないとか
メジャーの経験があるとかないとか
人は物事を成功したか失敗したかの二択で判別したがりますが
ほんとにそんな物差しで測れるのかな
てか、そんな物差し、いらないんじゃないかと思います。

歩みを止めないという事が
今日よりも明日という思いが
創作する
音楽を奏でる
はたまた生きていくうえで大事な事なんじゃないかなと思います。

誰かの物差しじゃなくて
自分の物差しで生きる(そこに妥協と甘えは無くて当たり前)

時にレコーディング中の何気ない会話の中で
時にライブ中の問答の中で
フトシくんは、そんな事を僕に問いかけてくれます。

それはきっと、フトシくんの音楽に触れた事がある人なら
痛いほど感じてるのではないでしょうか。

彼がどれくらいピュアで、音楽を愛しているか。

僕が二弦の共鳴にこだわる理由

今の自分と、この先の自分に問いかける為に
そうあり続ける為に、嫌というほど彼と問答したいんです。

僕にとって高木フトシくんは
尊敬する詩人でありロッカーであり、誰よりも興味深いギタリストなんです。
(一聴の価値あり、ほんと良いギターを弾く)

だからそんな二弦の共鳴を
この誰もやってない問答方式によるギターと歌だけの「音宇宙」を
今日はあぁだった、ここはこうだったと
足を運んでくれるみんなが感じて楽しんで笑って泣いて聴いてくれたら
そこには誰も観たことのない光景が広がるんじゃないかと…

二弦の共鳴で

その地平と、音楽の循環を

目指したいと思っています。